友人からの学び(代表ブログ)

 先週、北陸の石川へ友人の山口さんと神社参りを含む研修の旅に行ってきました。
山口さんは電動車椅子のため、金沢まで新幹線で行ってから駅周辺で専用のレンタカーを借り、各訪問先へは車で移動することにしました。今回はこの研修旅行で経験した幾つかのエピソードを通じて、私自身が感じたことをお伝えしたいと思います。

1.神社で

 金沢近郊の白山市にある白山比咩(しらやまひめ)神社へ参拝しました。全国に数多ある白山神社の総本宮ということもあり、大変立派なところです。折角ですからこの際、ご祈祷もして頂くことにしました。私は特に何も考えず、いつものように「商売繁盛」で祈祷して頂こうと思っていました。しかし、友人が選んだのは「神恩感謝(しんおんかんしゃ)」。
個人的な打算が見え隠れするものをついつい選んでいる自分の浅はかさを大いに恥じ、私も慌てて「神恩感謝」に変更したのでした。

白山比咩(しらやまひめ)神社

2.海

 初夏を思わせる雲一つない青空のもと、日本海を見に行くことにしました。山口さんも私も普段は“海なし県”に住んでいるため、海への憧れが強烈です。更に山口さんは車椅子ですから、砂浜や波打ち際まで行くといった機会がほとんどないそうです(電動車椅子では砂が絡み、車輪が空回りして身動きが取れなくなる危険性が高い)。そこで千里浜なぎさドライブウェイへ行き、波打ち際まで車で乗り入れることにしました。
目の前にキラキラと光る海原を遠い目で見つめ、山口さんが呟きました。
「なんて贅沢な時間なんだろう…」「波の音って、こんな風に聞こえるんだ…」


実は研修旅行の1週間ほど前に、元東京大学医学部教授・矢作直樹先生の勉強会に参加したのですが、その中の一つにこんなお話がありました。

「どうも最近の世の中は皆さん権利主張が激しくなっているようで、生きていることを当たり前のように捉えている節がある。私たちの親の世代などは戦争を経験しているからか、生きていることは決して当たり前ではなく、亡くなるときに“ありがとうございました”と言いながら逝く方が多かったように思う」


今回友人との研修旅行で上記のような体験をし、私には一つの大きな気付きがありました。半世紀近くも生きてきて分かっていなかったのかと呆れられてしまいそうですが、それは、

生きていることは当たり前ではないということ
決して当たり前ではなく、“有難し”であること
有難いと感謝しながら今を生きること

そんなことを心で気付くことができたように感じます。そんな感覚が心に降りてきたように感じます。これまで、頭では「ありがとう」とか「感謝」が大事だと分かっているつもりでしたが、それが心で腑に落ちた、顕在意識だけの理解が潜在意識まで拡がった、そんな感覚が得られました。

この世の中を過ごす上でとても大切な心の気付きを与えてくれた友人に感謝します。

斎藤良