自己パターンを振り返ってみて





日頃ありがちな自分の行動パターンや考え方のクセ、
皆さんはどのくらい頭に浮かぶでしょうか。

普段の私達は無意識的に行動することが多いとすれば、
自分のパターンがパッと頭に浮かぶことは余りないのかも知れません。
そんなときは少し立ち止まって意識的に自分を振り返ることで、徐々にパターンを認識できそうです。

年末という否が応でもその年を振り返ってみたくなる時期に、
自分の中でこの作業を行ってみるのは良い機会かも知れません。

そこで今回は私自身のパターンについて振り返ってみました。

私の場合、例えばチームで打ち合わせしているときにも自己パターンが表れていそうです。
ミーティング中に部下にあたる人が、評論家のようにただ議論に参加している状況になると、
不機嫌になる、黙りがちになる自分がいたりします。
感情としては、イラッとする、がっかり、不満、などがありそうです。
思考としては、どうしてメモを取らないのか、なんでまとめ役を買って出ないのか、
といったものがありそうです。

では、どうしてそのようなパターンになってしまうのでしょうか?
おそらく、「部下は一番手を動かすべき」というベキ論が私の中にはあるような気がします。
これは私が歩んできた社会人経験の中で形成されてきたベキ論ではないかと考えられます。
私が新人で入社した会社では、一番目下のメンバーが会議の議事録を取るなど、
実務的に一番手を動かすことを常に求められていましたし、徹底もされていました。
時を経て逆に新人を指導する立場になっても、そのスタンスは同じでした。
かつての私がそう指導されたように、私も部下の方に対して、とにかく手を動かすことを求めました。
例えば海外との英語によるミーティング時でさえ、議事録は会議中もしくは会議終了直後に発行することを求めたりしてました。
そんな社会人経験を経てきて、「部下は一番手を動かすべき」というベキ論が今も頭の中にこびりついているのかも知れません。

しかし今年、あるプロジェクトに携わる中で、この自己パターンに気づかされる事がありました。
それは、そのプロジェクトを推進するリーダー、いわば一番目上の方ともいうべき人が、
とにかく自分で手を動かしている場面に遭遇したことです。
メンバーの意見を受け入れつつ、まとめること、段取りをつけること、
基本的にはご自身で手を動かしながら進められてました。それもごく自然体で、です。

この場面を目の当たりにしたとき、先ほどの私の自己パターンは些か傲慢で、意識的に見直した方が良さそうに思われました。
その後も同じような場面は私にも何度となく訪れる訳ですが、そのことがあってからは、一度立ち止まり、
自分の中のベキ論が前面に出すぎていないかを意識するようになりました。
そして、自分が手を動かすことを取り入れるように心がけるようになっていきました。

もちろん部下育成という観点でいえば、
時に部下自身に手を動かしてもらい実務スキルを習得してもらうことも大事でしょう。
”あの上司なんでも自分でやっちゃうんだよね”、”全然任せてくれないんだよね”といった、
部下のモチベーションを損なわない関わり方も当然重要になるでしょう。

しかし、上司だから部下だから、実務をこなすのが部下だから、上司は管理する立場だから、
といったベキ論だけを翳(かざ)していても、物事は前に進んでいかないのもまた事実なのかも知れません。

皆さんが大切にされているベキ論、拘り、正義、価値とはどんなものでしょうか。
そして、そのことが実は自分のある種の行動パターンを生み出しているとすれば、それはどんなことでしょうか。
そんな視点で今年一年を振り返ってみるのも、また面白いかもしれませんね。


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