感情と向き合うことの難しさ

感情知能(EQ)の開発支援に携わる者として、感情と向き合うことの大切さを様々な場面でお伝えしてます。
自分自身もまた、実践者として注意深く感情を見つめるように日頃から心掛けてます。
今そんな自分に一つの試練が訪れています。

10日ほど前、愛犬が亡くなりました。9歳6ヵ月の命でした。

亡くなった瞬間から今に至るまで、様々な感情が沸いていた(いる)と思います。
悲しみ、寂しさ、喪失感、無力感、絶望感、徒労感、放心、後悔、怒り、猜疑心、拒絶、嫉妬、孤独感、、、

EQを活用する上で大事なことは、脳科学的に解釈するとすれば、大脳辺縁系(感情脳)で勝手に湧き上がってくる感情に対してその周りを覆っている大脳皮質(認知脳)でしっかり認識してあげることが重要です。
自己認識やメタ認知の重要性をよく耳にしますが、自分がどんな状態にあるのか客観的に認識することで、冷静な判断や望ましい行動へ影響を及ぼしていくことが可能と言われています。

また、EQを働かせる上でもう一つ大切なことは、感情はメッセージだということを認識することです。
例えば、どうして悲しい感情が生まれるのでしょう。それは失った大切なものが何か、私たちに気づかせてくれるからではないでしょうか。感情には私たちに気づかせ意識的にさせる働きがあることを理解しておくことで、感情に流されたり、感情にハイジャックされる(囚われる)ことを防ぐことが可能となります。

とは言っても、、、自分が持っている認知的知識をフル稼働させてみたりしても、そう簡単にこの感情が収まる訳ではありません。寂しい、淋しい、後悔、後悔、後悔、そんな感情がグルグル周り続けています。

ところで、感情にはこんな特徴もあります。
感情には濃いものから薄いものまで様々な濃淡があると言われます。そして強烈なインパクトのある強い感情であっても、それが未来永劫保持されることはありません。強烈さは必ず薄れていきます。私たちは忘れる生き物と言われますが、脳が忘却することをその機能の一部として元々備えているとすれば、実に有益な機能という気がします。(認知障害を患っておられる方には不謹慎かも知れませんが)
そんなことを考えてましたら、あるビジネスパートナーの女性が『子供を産んだときのあの痛みを全く覚えていない、あんなに苦痛だったはずなのに。。』とおっしゃっていて、時間と共に忘れていくことは実は生きていく上でとても大事なことではないかという話になりました。

果たして私にもこの時間の効果が表れてくれるでしょうか。
あの日から10日が過ぎ、こうして言語化にトライしていること自体、既に時間の効果が出てきているのかも知れません。

昨晩、相変わらず気怠くボーとしながら何気なくネットでアメリカの映画を観てましたら、最後にこういう台詞が出てきました。

“寂しさはこの世界の一部。悲しみがなければ、幸せも味わえない”
(原文:Missing people is the part of this world. Without that sadness, you can’t taste sweet.)

エルちゃん、想像していた時間よりだいぶ短い間だったけど、たくさんの幸せをありがとう。